MENU

 安里八幡宮は、第一尚氏第七代尚徳王により、1466年(明成化2年、文正元年)に創建されました。その由来は、琉球の歴史書『球陽』や『琉球神道記』をはじめ各種の史料に記録されています。
 尚徳王は、武勇に勝れた英明な王で、先王、尚泰久の遺志をついで鬼界が島遠征のため、二千余の軍勢を率いて安里を通りかかったとき、鳥が鳴き飛び立つのをみて、たちまち弓を取り、乙矢(おとや)は地に立て、甲矢(はや)を弓につがい、天を仰ぎ、「一矢で飛ぶ鳥を射落としたら鬼界が島の平定をかなえさせ給え」と祈願したところ、見事に一矢でこれを射落とすことができました。
 また、さらに進んで五十余艘の軍勢で那覇港を出港したところ、海中の波間に梵鐘が浮き沈みしながら漂い、軍船の側を離れなかったという。
 尚徳王は、「これは八幡大菩薩の賜りたる霊鐘なり。これがわが手に入れば戦勝まちがいなし。帰国後は八幡宮を崇め奉る。」と誓い、船に載せ戦いに臨んだところ、果たして鬼界が島を平定し凱旋することができました。尚徳王は、この八幡大菩薩のお加護に感謝し、誓願に従い、矢を立てた地に安里八幡宮を建立し、さらに近くに高明山神徳寺を併設して梵鐘を掛けさせたのが安里八幡宮の始まりであります。
 以来、安里八幡宮は、霊験あらたかなるお宮として尊崇され、弓矢や甲冑を秘蔵し武運を祈願するお宮として、多くの人々の信仰を集め、また、琉球舞踊「上り口説」にも謡われ親しまれてきました。明治の廃藩置県後も地域の人々に敬われてきましたが、先の沖縄戦で社殿は悉く焼失してしまいました。
 戦後27年に及んだ米軍統治下においては、教会敷地となっておりましたが、1963年(昭和38年)に仮殿が復興されました。その後、1972年(昭和47年)の沖縄施政権返還に伴い敷地を回復して、1993年(平成5年)、安里八幡宮復興期成会により、多年の念願であった八幡宮神殿の復元が実現いたしました。

 

 

 

御祭神

 

 

応神天皇(おうじんてんのう)
玉依姫命(たまよりひめ)
神功皇后(じんぐうこうごう)

 

今月のお休み(赤)

1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031